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1977(78)年・昭和52(53年)生まれの「懐かし」ホイホイ~記憶のおもちゃ箱~

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中学生・高校生時代「蔵間竜也(元関脇)」若・貴ブーム時のコメンテーターとして

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蔵間竜也

新入幕の頃は、期待の新鋭だった。相撲好きだった昭和天皇も目をかけていた一人で、天覧相撲の時、説明役についた春日野理事長(元横綱・栃錦)に「蔵間はどうなの?」と尋ね、春日野は「あれは大関になります」と答えた。

1989年(平成元年)の9月場所前の健康診断で、慢性骨髄性白血病と判明(なお当時公式には脾腫による1か月の加療と発表されていた)。9月場所限りで現役を引退し年寄・錣山を襲名したが、病気のため1990年(平成2年)6月に廃業し、協会から去った。現役時代から、JR総武線・都営新宿線本八幡駅前で「相撲茶屋・蔵間」を経営していた。

タレント・スポーツコメンテーターなどとして活躍し、ちょうど若乃花、貴乃花の若貴兄弟らが、若年層の相撲ファンを開拓していたこともあって、『ブロードキャスター』などのバラエティ番組でも相撲担当ゲストとしてそのわかりやすい語り口で人気を博し、元力士としては異例の活躍ぶりだった。一方、その優勝予想は当たらないことで評判で、力士当人から名指ししないでくれと泣きつかれた、などという噂がまことしやかに流れるなどした。

蔵間が慢性骨髄性白血病におかされているという事実は、彼の家族や親類など、ごく限られた人しか知らなかった。実兄とHLAが一致し骨髄移植は可能だったが、当時の移植成功率を考え、残された時間を有意義に生きる方を選択した。

しかし、1995年(平成7年)1月上旬に急性転化し緊急入院。兄からの骨髄移植手術も考慮された矢先の同年1月26日、慢性骨髄性白血病による急性転化多臓器不全のため、東京女子医大病院にて42歳の若さでこの世を去った。死の数日前、カセットテープに残した「誰からも同情されたくはなかった」という主旨の遺言は多くの人々の涙を誘った。

1990年当時は、まさに若・貴ブームで、蔵馬さんはよくテレビに出演していましたね。

昔のパチンコ番組を見ていたら登場して、久々に存在を思い出しました。

我々世代にとっては、相撲取りというイメージよりも、タレント・コメンテーターとしてのイメージが強いと思います。

ネットの反応。

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